JAPAN TOUR
SCHEDULE & CICKETS
ABOUT
SNEAK_PREVIW
VENUE INFO
           
 
   
エド・サリバンショー

エド・サリバンショー
エド・サリバンショー
1964年2月9日、日曜。7400万人がエド・サリバンショーにチャンネルを合わせた。そしてその瞬間、 ポップ・ミュージック、ポップ・カルチャーの世界は完全に変わってしまった。よく似合う黒いスーツとキューバ風ヒールのブーツ、そして見慣れない長いヘアスタイルをした若い4人組は番組で5曲を演奏し、「ビートルマニア」や「イギリスからの侵略」を予感させた。
フラワー・パワー

フラワー・パワー
フラワー・パワー
1967-1968年。高めの丸椅子に腰かけ、サイケデリックな衣装に身を包み、世界初の衛星生中継Our Worldのテレビスペシャルでニューシングル「愛こそはすべて」を初披露する。その後の18カ月間も、彼らの音楽はどんどんシンプルなものになっていく。アコースティック・ギターが、ハープのコードやホルンの役割を果たすようになる。そしてサージェント・ペパーズやマジカル・ミステリー・ツアーで見られたヒッピー文化は、後に「ホワイトアルバム」で見られるようになる全く自然で、飾り気のないものへと変わっていく。

 

     
シェア・スタジアム

シェア・スタジアム
シェア・スタジアム
1965年8月15日。ロックバンドとしては初めてのスタジアム公演を含むアメリカツアーが幕を開け、世界的に有名なシェア・スタジアムに集まった55000人ものファンが叫び、気を失い、声援を送った。音は聞こえにくかったが、それでもその場に集まったエネルギーは否定しようのないものであった。この公演は、その後何年も彼らがツアーを回っていく中でのピークであり、彼らのキャリアの中でも象徴的な瞬間であり、その名前はスタジアム自体以上に長く残ることとなる。

アビイ・ロード

アビイ・ロード
アビイ・ロード
1969-1970年。2枚の「最後のアルバム」、つまり最後にレコーディングされた1969年のLP「アビイ・ロード」と最後にリリースされた1970年のLP「レット・イット・ビー」。それぞれ が、バンドとして本当に素晴らしい時代の要素を持ち合わせている。横断歩道を歩くカバージャケット、突然行った屋根の上でのコンサート…しかし何よりも音楽についてである。
レット・イット・ビーには、「ゲット・バック」や「アクロス・ザ・ユニバース」、そ してもちろんタイトルトラックなど、ビートルズの中でも特にヒットした曲がいくつも収録されている。「アビーロード」はバンドにとっての辞世の歌というに 相応しく、ジョンとポールが奏でるハーモニー、ジョージによるクラシカルな2曲、そしてこのバンドにおけるリンゴの最初で最後のドラムソロが入ったアルバムの最終曲。ここにきて、このバンドが4人の、それぞれに才能がある男性によって結成されていたことは否定のしようがない。そしてその才能がゆえに、彼らは最終的に各々の道を必要とした。

   
       
サージェントペパーズ

サージェントペパーズ
サージェントペパーズ
1967年6月。ロックの分野では初めてのコンセプトアルバムとなる「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハート・クラブ・バンド」がイギリスとアメリカで同時に発売され、音楽史の中でも草分け的な存在となる。タイトルトラックの最初に入った観客の声から、「ア・デイ・インザ・ライフ」の終わりに入った40秒にも渡るコードまで、その音楽は他の誰かが今までにやってきたものとは全く違っていた。このアルバムに関する他の点も、サイケデリックなカバージャケット、サテンでつくられたバンドの衣装、そして裏面に印刷された歌詞まで、目新しく比類のないものだった。

アビイ・ロード
 
           
             
RAIN A TRIBUTE TO THE BEATLES レイン ビートルズに捧ぐ 日本公演公式ホームページ

ワールドツアーHPはこちら http://www.raintribute.com/home/