


大阪市中央区で東横堀川にかかる本町橋から本町通を西へ行くと木造一軒家の喫茶店がある。 「ゼー六」といい、手づくりのアイスクリームで知られている。さらっとした食感、懐かしい素朴な味にファンは多い。夏の間は行列ができるくらいの人気商品だ。「安くて、うまくて、衛生的。手抜きしないのが最高の技術と心得てきました」と話す二代目当主の廣瀬徳也さん。
店は廣瀬さんの父が大正2年(1913)に創業。もともとは「ゼー六三十日(みそか)堂」の名をもつ和菓子屋だった。現在の店舗は昭和2年(1927)に 改装したのが、戦災をくぐりぬけ残ったものだ。「京都からよんだ茶室づくりの大工さんが泊まり込み、父の指図で手のこんだ造作をしたときいてます」 昔のままの陳列棚、床の間、押し戸のドアなど和洋折衷の喫茶空間は、独特な雰囲気をもつ。昭和の初めにはアイスキャンデーをつくったり、食堂も営業してい た話からは先代のモダンぶりが想像できるのだった。
自家製アイスクリームは、そうした「ゼー六」の家風を受け継ぎ、確立されたように思われてくる。「戦後すぐに父が亡くなり、私らは口でおぼえていた味をたよりにするしかありませんでした」 塩と氷をかきまぜ製造していたのが、新しい機械になり材料が変わっても、できるのは近代のアイスクリームそのものなんだから、懐かし味が伝わるはずだ。
いまは、廣瀬さんの息子の光徳さんが三代目を継ぎ、一家でゼー六ブランドを守る。「現代の工場生産品は冷凍乳製品であって、本当のアイスクリームやないと思てます。私らはメーカーをゆすぶるような商品をつくっていかな」と、心強い。
たまたま店頭で、アイスクリームを買いにきた若い子が、廣瀬さんに「おおきに、2個で200万円」といわれてとまどうのを目にした。最近は、このシャレが ほかではきけないのである。よくなじむ「ゼー六」のような店こそ大阪なのに。通じないのかなあ。
付録:「ぜーろく」とは、「贅六」と書いて、商人に無用の贅物六つ(禄、閥、引、学、太刀、身分)をさす言葉が由来だそうだ。
(「くいだおれ大阪どっとこむ」より松井一裕さんの文章を引用させていただきました)
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名曲「アイスクリーム屋」を現場で 生で---

アコースティックギターの名手 中川イサトがソロアルバム「お茶の時間」をリリースしたのは1973年。
当時、中川イサトは歌っておりました(笑)。 アルバムA面の4曲目に問題の曲が入っています。タイトルは「アイスクリーム屋」。 作詞はKINTA、作曲は中川イサト。“高速道路のランプの近く のれんがゆらゆら揺れてます”メロディのあるリフレインと語りで構成されたいわばトーキング・ブルースのこの曲のモデルとなったのは大阪は堺筋本町のアイスクリーム店「ゼー六」でした。おかげで「ゼー六」には妙な客が来るやら、問い合わせの電話がかかるやら。(ご迷惑をおかけしてすんません/イサト・KINTA)
あれから30年。イサトは元気にプレイを続けています。で、この度、名曲「アイスクリーム屋」を現場で生で、というわけで、推定10人ほどしか入れない小さなコンサートですが、感謝のライブを行ないます。もちろんインストゥルメンタル曲もたっぷりです。P.A.なし!の完全アンプラグドです(笑)。(ポスターより引用)


2003年12月26日(金)に行われた中川イサトLIVE「冬のアイスクリーム」の模様は、ここをクリックするとご覧いただけます。小さなデジカメの画像ですが、当日のアットホームな雰囲気は伝わるはずです。お互いの膝が触れるほどの狭い店内には、温かいぬくもりと冷たいアイスクリームの香りが漂っていて、外の木枯らしもほてった顔に気持ちいい夜でした。ライブのあとにゼー六さんのご厚意で、お寿司やビールで全員で打ち上げしました。


このアイスクリーム屋さんは、僕がまだ10代の終わりだった頃、バイトの帰りに友だちと立ち寄ったお店で、珈琲とアイスクリームの味はもとより、僕たちはご主人と奥さんの人柄に惹かれてしまい、何度も通うようになり、夜遅くまであほらしいアイデアや夢のような未来について語ったものです。右下の写真は1973年頃の当時のゼー六と僕です。あれから三十数年、変わったのはどっち? |